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人生のログ(にしたい)。本のメモや感想を中心に。

アニメ版デビサバ2に思ったこと

ゲームのデビサバ2面白かったのですけど、何だかなーと思った点が2つあって、それらがアニメ化に向いてない要因だと思ってました。その1つは、構図が雑多すぎること。悪魔に加えて、セプテントリオンとかいうよく分からないものがいるわけですが、登場人物が、悪魔とかセプテントリオンとかどういうことだってばよ、何が違うんだってばよと言っているときに、1プレイ済みまたはシリーズ経験者なら、悪魔については既知なわけで、だからこそ謎の侵略者であるところのセプテントリオンがすんなり入ってくるわけですが、シリーズに疎い人であればいきなり悪魔とセプテントリオンを同時に提示されても、構図として分かりにくいのではないかと。というかぼくがこの辺りの構図が気に入らなかっただけなのかも知れませんが。

もう1つは、登場人物の掘り下げに余裕がありすぎたんですよね。キャラの個別のイベントでは、ペルソナ3,4のコミュのように、主に過去話が語られるのですが、基本的にストーリーに関係なく、今までの生活と地続きの話が語られるのです。これが、残り数日しかないからこそポジティブに生きようとか、ポラリスに謁見したあとはどうしようかとかなら分かりますけど、そうじゃないから、お前そんな暇あんの???とどうしても思ってしまう。これは1にも言えたことなのですけど、少なくとも1ではベルを巡る争いに巻き込まれたというのが(たしかわりと終盤まで)分からなかったり、移動できる地点が限られていたりとでそこまで違和感は無かったような覚えがあります。

ただこれらの点はアニメ版ではわりと解消されてるのですよね。1つ目の問題は、セプテントリオンとの戦闘をあっさり終わらせたり、主人公とヤマトが龍脈パワーで直接戦ったり、ポラリスを描かなかったりなどでシンプルに見せてますし、2つ目の問題も、登場人物をあっさり殺したことで、掘り下げようがなくなって解消されてます。しかも(本来あるべき)緊迫感を出せていてトータルでは良かったと思います。そりゃ(好きな)オトメさんもジョーさんもそんなあっさり逝ってしまうん……やフミちゃんの死に方はそりゃないぜとは思いましたけれど。

上のように問題点をカバーし、主人公が龍脈使えるようになっていたりヤマトが輝く者だったりという改変で、主人公とヤマトの二人をメインに据えて対比し、徹底して主人公をヤマトのカウンターとして描いているのは良かったと思います。この上で最終話で輝く者がルシファーを、輝いてた者がサタンを使って決着をつけたのは対比として綺麗だなーと。(最終話でドヤ顔で悪魔合体だと言い出すのはちょっと吹き出しかけましたが)

主人公とヤマト中心の物語にしたことは英断だったと思うのですが、一つ難点もあって、ゲーム中では、ヤマトの実力主義はクリッキーの平等主義と対比されるものであって、メガテンにおける単純な善悪の二項対立でない、LowとChaosに相当するものだったんですよね。
それが中盤でのクリッキーの脱落、シジマが第三勢力にならない、アルコルの主人公びいきによって、ヤマトの実力主義だけが前面に出てしまったわけです。いや実力主義ってだけ言われてもフワフワしすぎでしょ。ゲーム中でも青臭い感じはありましたけど、対比されてた平等主義がもっと青臭かったりもあって、まあ分かる、といった具合だったのですが、これじゃあ弁護のしようがない。で、実力主義に対する他のキャラの反応も過敏すぎた。イオもシジマもゲーム中ではどっちもどっちと言えたのに極端な思想が一つしか無くなってしまったからそうも言えない、と。

まあぶっちゃけその辺は気にしないでおいて、主人公とヤマトの物語にまとめたのは好感を持ってます。記憶を取り戻した主人公は真っ先にヤマトを気にかけて、(人間では)ヤマトだけが記憶を引き継いでいるのも綺麗でしたし。

まとめると、ヤマトさんイケメンということで。