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人生のログ(にしたい)。本のメモや感想を中心に。

アウトプット

Twitterの、オープンな、フォローフォロワーが千単位で、その上(その気になれば)中の人を特定できるようになっているアカウントで好き勝手に何でも発言できる人がすごいと思う。好き勝手というのは政治的に非常に偏った話とか、特定の国、団体、組織へのdisとかではなく。そういう人は往々にしてその手の話題もするから、よう言えるなーと思うんだけど。

で何をすごいと思うのかというと、あやふやな内容とか間違った知識とかを堂々と発言できること。自分なんかはそういう発言をして訂正リプとかが飛んできたら単純に面倒くさいし、根底には小中の間違えることは悪いこと教育から抜け切れてないのもたぶんある。

間違うことや間違いを指摘されることを恐れて何もできなくなって停滞していくことはこわいと思う。たかがTwitterなんぞで、とは思うけれど、もう生活の一部になってしまっているのだから、ついった上の態度が現実のぼくに影響を与えうる。だからもう少しくらいは物怖じせずに前のように色々とpostしたい。まあついったから離れるに越したことは無いと思っているので長々と眺めるくらいなら、という意味で。

で、物怖じせず発言できるということは、アウトプットの機会を単純に増やすわけで、それは利点だろうと。実際、自分の考えをまとめようとしたとき、人に説明しようとしたとき、問題を解こうと思ったときに初めて気づくことや分かることって多いじゃない。
ついった上のアウトプットの特徴は文字数と会話への近さにあると思う。文字数が限られているから、情報の取捨選択に敏感にならなければならない。そういう枝葉の取り方の練習になるんじゃないかと思う。まあ意識してそんな意識高いTwitterの使い方してる人間なんてぶん殴りたさしかないけれど。もう一つの会話への近さというのはリプライを送り合うとかそういうことではなくて、考えてから発言するまでの時間の短さという意味で。ネタガチ勢は知らないけど。短い時間で情報を圧縮して発言できるというのは大事だし、その練度が高い人は賢そうに見える。まあこれも意識して(以下略)。

まとめると、勉強用アカウントをひっそりと作るのはありだと思いましたということで。オープンに議論できると強いのだろうけど、色々と面倒くさすぎるのでひっそりとが丸い感じ。