99ln(99/e)

人生のログ(にしたい)。本のメモや感想を中心に。

より酷いのかもしれない

1.
たとえば目の前にスカートをはいた女の子がいて、その女の子は量子的なパンツ(存在するか存在しないかの二つの状態がある)を履いているとする。その女の子がパンツを履いているかいないかというのは、観測者がスカートをめくるまで確定せず、観測者がめくるまではパンツが履いてある状態|e>と履かれていない状態|n>の重ね合わせになっている。
ここで、パンツには装着感がない、つまり、スカートの中にパンツが存在するか存在しないかということがその女の子にも分からないとする(量子パンツを履いたことだけは確実)。その女の子に「あなたのスカートの中にはパンツがありますか」と訊いてもその女の子は「めくるまで分からない」としか答えられない。
一方、女の子が古典的なパンツを履いていた場合、その女の子にパンツの有無を訊けば、その女の子が痴呆でない限り、その女の子はパンツの有無を知っている。履いたことor履いていないことを覚えている限り、そのパンツが履かれたあるいは履かれていない状態というのは変わらない。

2.
TCGのカードのパックをコンビニで一つ選んで買ったとする。あなたはセーブ&リセットをする能力がある。パックを開封する前にセーブをした。開封したパックには外ればかりだったのでリセットをした。もう一度開封すると、さっきと同じ外れカードたちが入っている。これを何度繰り返しても、同じ外れカードしか入っていない。なぜなら工場でカードをパックに詰めた時点で、あるパックに入っているカードの組は決まっているからだ。
ここで量子的なパックがあったとする。これを開封すると、その弾に含まれるカードのすべてのうちから5枚が所与の確率分布で現れる。これは工場で封入されたときの様子を知らないので(サーチなどで事前確率を更新しない限り)古典パックでも当然同じことがいえる。ところが、この量子パックをセーブ&リセットで何度も開封すると、毎回異なった組が現れうる。


合否だとか結果を見なくても客観的には結果が確定しているような状況で「シュレディンガーのうんたら」と言われるとブチ切れてしまうので、不正確でも多少はましな喩えを書きたかった。